2015-03-04 第189回国会 衆議院 財務金融委員会 第2号
竹のたがに、ちょっと焦がして、あと小刀で削っているだけですから。労賃は自前だけですから、私は税金を払っているのかどうか知らぬけれども、あれは物すごい利益率だと思いますよ。 僕はそういうのは興味がありますものですから、一日どれくらい売れるんだと言ったら、ぎょっとしたような顔をしていて、俺は税務署と関係ないから教えてくれと言ったら、二十本から三十本売れるというんですよ。一本二千円で、幾らですか。
竹のたがに、ちょっと焦がして、あと小刀で削っているだけですから。労賃は自前だけですから、私は税金を払っているのかどうか知らぬけれども、あれは物すごい利益率だと思いますよ。 僕はそういうのは興味がありますものですから、一日どれくらい売れるんだと言ったら、ぎょっとしたような顔をしていて、俺は税務署と関係ないから教えてくれと言ったら、二十本から三十本売れるというんですよ。一本二千円で、幾らですか。
二人以上の敵が来たら、刀は大刀小刀、手は二本ありますから二天一流を編み出した。これは当然の自然の摂理なんです。 何よりも情報を大切にしたというのは、吉岡一門との一乗寺下り松の決闘。たくさんの敵が来たら幾ら強くても切られて死んでしまう。
○政府参考人(米田壯君) 一応、刃物類は、ナイフ類、包丁類、はさみ、小刀、かみそり、それからその他という、犯罪統計上はそのように分類をしております。 そこで、平成十九年中におけるナイフ類以外の刃物類を使用いたしました殺傷事件でございますが、殺人事件が四百四件、それから傷害事件が四百六十二件でございます。
○徳久政府参考人 今お尋ねのございました、小中学校、学校における刃物の取り扱いということでございますけれども、学習指導要領等におきまして、小学校では図画工作科、中学校では美術科でございますけれども、そちらで、はさみ、カッターナイフ、小刀、糸のこぎり等につきまして、児童生徒が適切に扱うことができるよう指導することとしております。
〔犯罪事実の概要〕 本犯は、 1 窃盗の共犯者であったA(当時二十歳)が、本犯から現金を盗み、返済の要求にも容易に応じないことなどから、裏切られたとしてその殺害を企て、昭和五十六年十月六日午前五時ころ、横浜市戸塚区内の路上において、包丁及び小刀で、Aの頸部、背部、左右大腿部等を突き刺し、十か所に及ぶ前頸部刺創等を負わせ、左総頸動脈切断により失血死させて殺害した(殺人)。
また、昔は、小刀で鉛筆を削ったり竹トンボをつくったりしましたけれども、確かに今危ないということで学校の購買部にも置いてないというふうに聞きますけれども、大きな犯罪につながるものに関してはよくない話ですけれども、鉛筆を削っていくことによって、そしてちょっと手を切ってみて、ナイフによって感じる痛み、これをみずから感じれば、人を刺したりすることがどんなに大変なことなのか、子供心にも理解していけるのではないのかなと
それから、家庭科だけではなくて、子供がナイフを持ってこないようにとか、鉛筆削りなんて、今、小刀で削るなんてことしませんし、うちはよく子供たち家に遊びに来て、料理みんなさせていたものですから、親がいないところでも料理やると、親御さんたち心配して大丈夫と言うんですが、マッチを擦るなんて今知りませんよね。それからガスの付け方も知らない、包丁も持ったことがない。
大きな目で見ると、何のためにあんなところに苦心して喜んでいるのか、気の知れない小刀細工をするのである。素人はばかばかしいと思っても、先が玄人だと遠慮して何も言わない。すると、玄人はますます増長し、ただ細かく細かく切り込んでいく。それで自分は立派に進歩したものと考えるらしい。高い立場から見下ろすと、これは進歩ではなくって堕落である。
本当に立派ないいものをつくるんです、かんなでありましても、小刀みたいなものにしましても。こういうのがもう年寄りの人になってしまっていまして、いずれこれはだめになってしまうと思うんですね。
したがって、小刀も凶器にもなれば子供さんたちの工作の道具にもなるというようなものであって、今、谷垣先生が言われたように、その有用な点もあるし、それが問題を引き起こす部分もあると。
京都府警においては、現場に残されていたものと同種のくり小刀等を購入した人物が写っている防犯ビデオ写真を用いて聞き込みを行い、容疑者がビデオ写真の人物に似ていること、現場に残された自転車の購入者と同一人物である可能性が高いこと等が判明したものであります。 京都府警においては、事案の解明を図るため、二月五日午前七時ごろ、容疑者に対し自宅から任意同行を求めたのであります。
○町村国務大臣 小刀やボールペンではなかなか人は殺せないと私は思いますよ。何といっても、学校という場所は、やはり静かに落ち着いて、楽しく安心して勉強する、そして遊んだりスポーツをしたりできる場、そこには教室で使う包丁や何か以外はおよそそういう危険なものがあってはならない場所だと僕は思っておりますから、そういう意味で、そういう世の中の常識が学校の中にもぜひ通ってほしい。
凶器といえば、ボールペンであろうと小刀であろうと、やはりいろいろなものが凶器になるわけですね。ですから、ボールペンや何かでもし人を傷めることがあれば、文部省はボールペンを持たないようにというふうに呼びかけられるのかなというような単純な疑問もわくわけですが、大臣はどう思われますか。
三番目には、昭和三十八年十一月二日、被害者の居宅におきまして、刑期を満了して出所した加害者から、証言をかつてしたことについての恨みを理由に切り出し小刀によって殺された事案でございます。これにつきましては、遺族に対する遺族給付とお葬式等に関します葬祭給付が支給されたものでございます。
逆に、攻撃を受けたら、橋本通産大臣、剣道の極意も、私は宮本武蔵の方で二天一流は二刀流、大刀で防いで小刀でこういくという、そういう姿勢で検査院、そうでないと。本当に唯一の検査院ですよ。各省庁をチェックするその機関が官官接待を受けておるというふうな一連のイメージで冒頭扱われて、八月の投書欄の締めくくりまで検査院が接待を受けておると。
これは、今先生が問題にしておる視点とやや違いまして、例えば掃除の手伝いをいつもしている者、毎朝自分ひとりで起きている者、毎朝歯磨きをしている者、毎朝顔を洗っている者、はしを正しく持てる、小刀で鉛筆を削れるというような基本的な生活習慣というか生活技能等を中心にして調査したものでございます。
ですから、丹羽先生の場合はそばにいた方が犯人から刺された刀を、小刀というのですか、ナイフを抜いてしまった。だから猛烈に血が出ることは当たり前ですね。今のように、救命救急の原則は、やっちゃいかぬと言っているのです。そのまま本来は手当てをしなければいかぬのに、そういうことがあったという問題点。それは一つは防衛医官の日ごろの対応が非常に問題であったと思うのです。
私ら子供のころは、机に小刀で先生の目を盗みながら穴をあけてビー玉をごろごろ落とした。こういったところで木というものに親しむ必要があるのじゃないか。成金さんがどんなに豪華なコンクリートの邸宅を建てられても、床の間と仏壇だけは木であるということから見ても、やはり木というもの、こういうものが非常に――環境庁が一翼を担っておるのだろうな、これは農林水産省、林野庁だけではない。
一件は昭和三十四年の事例で、証人が軽便かみそりで切られてけがをしたという事案、次は昭和三十六年の事案で、やはり証人が顔面等を手拳で殴打されて傷害を負ったという事案、あるいは昭和三十八年の事案では自己に不利な証言をした証人に対しましてその被告人が刑務所で刑期を満了して出所をした後に小刀で刺してこれを殺害したという事案、それから四番目は昭和四十三年、これも証人の証言中に被告人がボールペンで顔面を突き刺したという
昭和三十八年には、証人として証言した人が、当該犯人でありました者が服役し出所した後に、証言についてのうらみを理由に小刀で殺害されたというもので、これは遺族給付と葬祭給付がなされております。それから、昭和四十三年にも証人が証言中に被告人からボールペンで顔を刺されまして、全治三カ月、これは療養給付と休業給付がなされております。
それから昭和三十八年、これについても、加害者が服役後出所した後に証言についての恨みを理由に小刀で殺害したという事案、それから昭和四十三年に、これは証言中に被告人からボールペンで顔面を突かれて全治三カ月の傷害、それから昭和五十八年二月に、証言中の証人がやはり被告人から手で顔を殴られまして全治六日間の傷害、この五件が現在までの事案でございます。
これは私は何のことだかわかりませんが、刃物を持たない運動というのは、そのときにおける浅沼さんの問題のみならず、小刀で学校でちょっと過ちしたとかおどかしたとかいうのが相次いで起こったことが背景にありまして、そこで対症療法としてこの刃物を持たない運動を展開した結果、学校は刃物がなくなって、鉛筆削りの時代になったわけです。彼らはやがて成人して今社会にいるのです。刃物を使えない人間なんですよ。